2020-12-13

舟越 桂 私の中にある泉@渋谷区立松濤美術館

 一瞬で人心をつかんでしまう舟越さんの彫刻像。先ごろ渋谷で始まったこの展覧会では、どうやってその唯一無二性が育まれていったのかの手がかりが得られます。まだ学生の頃に手掛けた試作から新作までが時系列で見られるうえ、鑿を持つ前に何度も描くというドローイングや、書き留められたメモといった、作品の源泉に迫るような資料的展示が多々。芸術一家である舟越家のほかのメンバーによるデッサンなども、興味深いものでした。やはり人は一人で立っているわけではないし、ひとりでに自分に成っていくわけでもないのだと、しみじみ。

 大理石の目を入れる契機となった試作のマスクも興味深い一品。目をもつと、作品自身から”意思”みたいなものが発せられるようです。焦点はあっていないし、どこか虚な感じもする”目”。でも、入っているといないとでは段違いでした。


写真は、舟越さんのアトリエを再現した一角(以下すべて主催者の許可を得て撮影しています)。

 ところで彫刻像には、例えば夜、誰もいなくなった美術館で他の彫像と話し始めそうなコミュニケーション好きなものもあれば、孤高のオーラを発するものもありますが、舟越作品は後者。特にこの展覧会の第一会場に居る作品は、独り立ちどまり、思索する人々ばかりです。が、第一会場の終わりのあたりから2階の第二会場の作品は、どちらかというと「ものを語ること」を使命にしているのでは?と思うような雰囲気を纏っています。第1章で内を向いていた問いが、第二章で外に向かいはじめたか。

 代表作であるスフィンクスシリーズは、その良い例かと。「人間に謎をかけるスフィンクスは、謎をかけるくらい人間のことをよく見ている」というようなことを舟越さんが言っていますが、なるほどつまりその問いは、単なる質問ではなく問わずにはいられない根源的な謎であり、問うことで人を立ち止まらせ考え直させたいという、スフィンクスの断罪意識を含んだ重いものなのか。

 舟越作品には珍しく厳しい表情をした《戦争をみるスフィンクスⅡ》に対峙したとき、その愛ある重い問いを感じてぐっときました。こうした問いやメッセージを多分に含んでいるから、舟越作品は一貫して人間の姿をカタチにしつつ、「人ではない何か」と「強烈な人らしさ」を同時に感じさせるのだろうなあ。


こちらは2020年の新作《スフィンクスには何を問うか?》。

 と、ひととおり展覧会を見て、舟越さんをわかったような気でいたのですが、ひとり、そんなわたしのうわべの理解感を打ち破る作品が。それがこの人。


《森へ行く日》(1984年)

初期作品のひとつで、何気なく見てスルーしてしまうところだったのですが、この肩からの帯状の黒いものについて、「粘り気のある黒いものをつけたかったのでゴムを選んだ」というようなことを舟越さんがコメントしているのを読み、ガーンと衝撃。なぜねばねばした黒いものを、この人の肩につけたかったのか……。美術館を去り、松本へ戻る車窓の夜景を見ながらもまだ、ずっとそのことが頭から離れませんでした。(ö)

展覧会情報はこちら

会期:~2021年1/31
休:月曜(1/11は開館)、12/29~1/3、1/12 
観覧料:当日一般¥500ほか