いい齢をして「とびひ」に感染。肩から背中にかけて赤黒いテンテンボチボチが踊り、草間彌生さんもびっくりの「水玉脅迫」ぶり。コロナの不穏が、こういうカタチで出てきたか、あーあ。
こうなったらあれを読むしかない! と思って引っ張り出してきたのが太宰治でありました。その名も「皮膚と心」。皮膚病をわずらっちゃった女性の独白調による短編です。
まあ、なんと言うか甘い。「おぬし、甘いのう」の「甘い」ではなく、スウィートな甘さです。恋に恋すると同様に、悩みに恋する女性のとめどなく流れる感情の渦。苦悩に淫している感じが甘さを醸します。「皮膚病を患った女」という意味では主人公と同じ立場ですが、まあ、なんと言うかわたしとは十億光年くらいの距離感がある、心理的に。……と一瞬思ったものの、感情の内容はともかく、何か非日常的(ネガティブ)なことに出くわし、くよくよと感情の渦に飲み込まれていくのは、実は同じかもしれない。
主人公の場合、その感情が「女であることの因果」みたいなところにまでどっぷり堕ちていきます。その極みが、終わりの方で発射される「プロステチウト」発言。でたな、カタカナ一言爆弾。『三四郎』におけるストレイシープ(これも女性(みねこ)の発言ですね)同様、くさびのように心に撃ち込まれる威力のある単語です(意味は。。。調べてみてください)。どんな”おたふくのおばあさん”(主人公、28歳なんですけどね)でも、女は女。醜い皮膚病は、唯一のよすがを奪われる残酷な仕打ち。残った道は堕落か自殺か、というところまで思考が進みます。「健全な体に健全な魂」というけれど、逆も真なり、なのかも。ため息。
ネガティブに陥る自分を客観的に見せてもらった気がして、正気に戻るきっかけをつかみました。おかげさまで。やはり本は効くなあ。
ところで、女性の苦悩とは全く別の次元で、今回この短編を身近に思えた発見がひとつ。主人公の夫がデザイナーなんですよ。そうだったっけ? 昔読んだ時にはスルーしてました。とても気に入っていた図案を、まさか自分の夫が手がけていたとは、と気づいたときの女性の描写。このあたりに今回はキュンときました。はは。
ちなみにこの短編、新潮文庫の短編集『きりぎりす』に収録されています。写真はかつてあをぐみがデザインした「別冊太陽 太宰治」。
ああ、もうすぐ桜桃忌ですね。(ö)